今週のお題「やる気が出ない」
こんにちはこーりです
10代の頃はやる気に満ち溢れた学生
といった感じではありませんでしたが
やる気がなかったわけではなく
どうしたらいいのか、よくわからなかった
と言う状態だった気がします
私はダメな人なのか?
10代の頃によく母親が
私に向かって
弟も調子に乗って一緒になって
「もう、うちの姉ちゃんはダメだ」
とよく言っていました
10代の娘にお先真っ暗宣告です
特に悪さをしたわけでも
私に関係がある話をしていたわけでもないのに
気まぐれな猫の猫パンチのように
唐突にそのように言われるのです
このような感じではありません
取り立て目立つところもなく
母ははいまひとつさえない子だと思ったのかもしれません
言われて嫌な感じではありましたが
気にしていないつもりでした
しかし
人とうまくいかなかったり
物事が
思うようにならなかったり
失敗だったりすると
やっぱり母が言うように
私はダメ人間なのでは
他の人のようにならなくては
そんな気持ちになる時がありました
今思えば
うまくいかない事があった
=私はダメ人間
そんな事はありません
その時点での実力不足か
環境のせいか
たまたま運が悪かったのか
様々な事が組み合わさってそうなったのか
その時によると思います
何が良くなかったのかを現実的に分析せずに
感情的になって
いきなりダメ人間認定
そして
やる気をなくす
これだとまた同じことの繰り返しです
本当に10代の頃は劣等感が強かったのです
最高ではなく最善
最近、本棚を掃除していて
めくった本にこのようなことが書いてありました
劣等感は常に「現実の自分」を無視して、
最善ではなく最高を目指す。
心の整理学 加藤諦三
今思うと
現実の自分を否定して
自分ではない人間になって
素晴らしいと褒めるられるような人物に
なろうとしていたのかもしれません
自己不適格感は、自分でない人生を
生きているときに感じるものである。
他人に優越することに
自分の生き方の重心がかかっているときには、
自分は本来の自分として
生きていないのではないかと反省することである
自分ではない人間になろうとして、
心にもない目標を上げて努力して
たとえ上手くいったとしても
心は落ち着かないままです
今の自分自身の能力や体力、環境など
変えられるところは変えて
工夫できるところは工夫して
変えられないところは放っておく
今の自分でやれることをやる
最善を選ぶ
よく聞くありきたりな言葉ではありますが
そこのところが腹に落ちれば
心おだやかに事にあたれます
たまに心をざわつかせるようなことがあっても
たいていの事は落ち着いて
やり過ごすことができるでしょう
数年前、母に
私のことを
「ねえちゃんはだめだ」とよく言っていたよね
と言ったら
覚えていませんでした
しょっちゅう言っていたのに‥
のろいの言葉
言った方は覚えちゃいませんでした。
舞踏会に行かせてください
言葉は毒にも薬にもなる
10代の頃私にとってそれだけ母の影響が
強かったのだと思います
相手の言葉はコントロールできませんが
それをどのようにどれだけ受け取るかは
自分が決めることができます
そう簡単ではありませんが
今現在50代で
10代のような過敏さはありませんし
なんだかんだと言ってくる人は
結局は責任をとってくれるわけではないと言うことを
幾度と無く実感していますので
やたらと人の言葉に翻弄されたりはしませんが
今はどちらかといえば
うっかり、トンデモ発言をしない自信がないので
自分が発する言葉を
気をつけようと思っています
最後までお読みいただきありがとうございました