ゆきどけ絵日記

50代の雑談

だめ認定と最善と言葉

今週のお題「やる気が出ない」

こんにちはこーりです 

10代の頃はやる気に満ち溢れた学生

といった感じではありませんでしたが

 

やる気がなかったわけではなく

どうしたらいいのか、よくわからなかった

と言う状態だった気がします

 

私はダメな人なのか?

10代の頃によく母親が

私に向かって

弟も調子に乗って一緒になって

「もう、うちの姉ちゃんはダメだ」

とよく言っていました

10代の娘にお先真っ暗宣告です

 

特に悪さをしたわけでも

私に関係がある話をしていたわけでもないのに

気まぐれな猫の猫パンチのように

唐突にそのように言われるのです

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このような感じではありません

取り立て目立つところもなく

母ははいまひとつさえない子だと思ったのかもしれません

 

言われて嫌な感じではありましたが

気にしていないつもりでした

 

しかし

人とうまくいかなかったり

物事が

思うようにならなかったり

失敗だったりすると

 

やっぱり母が言うように

私はダメ人間なのでは

他の人のようにならなくては

そんな気持ちになる時がありました

 

今思えば

うまくいかない事があった

=私はダメ人間

そんな事はありません

 

その時点での実力不足か

環境のせいか

たまたま運が悪かったのか

様々な事が組み合わさってそうなったのか

その時によると思います

 

何が良くなかったのかを現実的に分析せずに

感情的になって

いきなりダメ人間認定

 

そして

やる気をなくす

これだとまた同じことの繰り返しです

 

本当に10代の頃は劣等感が強かったのです 

 

最高ではなく最善

最近、本棚を掃除していて

めくった本にこのようなことが書いてありました

 

劣等感は常に「現実の自分」を無視して、

最善ではなく最高を目指す。

心の整理学 加藤諦三

 

今思うと 

現実の自分を否定して

自分ではない人間になって

素晴らしいと褒めるられるような人物に

なろうとしていたのかもしれません

 

自己不適格感は、自分でない人生を

生きているときに感じるものである。

 

他人に優越することに

自分の生き方の重心がかかっているときには、

自分は本来の自分として

生きていないのではないかと反省することである

 

自分ではない人間になろうとして、

心にもない目標を上げて努力して

たとえ上手くいったとしても

心は落ち着かないままです

 

今の自分自身の能力や体力、環境など

変えられるところは変えて

工夫できるところは工夫して

変えられないところは放っておく

 

今の自分でやれることをやる

最善を選ぶ

よく聞くありきたりな言葉ではありますが

そこのところが腹に落ちれば

心おだやかに事にあたれます

 

たまに心をざわつかせるようなことがあっても

たいていの事は落ち着いて

やり過ごすことができるでしょう

 

数年前、母に

私のことを

「ねえちゃんはだめだ」とよく言っていたよね

と言ったら

 

覚えていませんでした

しょっちゅう言っていたのに‥

のろいの言葉

言った方は覚えちゃいませんでした。

 

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舞踏会に行かせてください

 

言葉は毒にも薬にもなる

10代の頃私にとってそれだけ母の影響が

強かったのだと思います

 

相手の言葉はコントロールできませんが

それをどのようにどれだけ受け取るかは

自分が決めることができます

そう簡単ではありませんが

 

今現在50代で

10代のような過敏さはありませんし

なんだかんだと言ってくる人は

結局は責任をとってくれるわけではないと言うことを

幾度と無く実感していますので

やたらと人の言葉に翻弄されたりはしませんが

 

今はどちらかといえば

うっかり、トンデモ発言をしない自信がないので

自分が発する言葉を

気をつけようと思っています

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました

 

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