新聞に紫門ふみさんが
発言小町のトピックについて語る
コラムがありました
なんでも茶化す友達に
限界を感じている話でした
そのトピックについて
紫門さんの学生時代は
誰かを茶化して笑いを取る人が人気を集めており
笑いを取るためには多少人を傷つけても平気
しかし
実際に話す分には刺激的で楽しい人であるので
友人として付き合っていた
しかし歳をとってくると
そういう人と付き合うのがしんどくなってきた
ということでした
長年傷ついてきて
もう我慢ができなくなってきたのではないか
そのようなことが書いてありました
紫門さんは年上ですが
確かに私が若い頃も
そのような人が人気というのはありました
お笑い番組もそんな感じが強かったです
若い時は、時として無神経さが
強さに見えて魅力に映ることもありました
しかし
歳を重ねて無神経だと
何も学習していない
残念な感じに見えてしまうのでしょうか
本当は嫌だった
私も
からかわれたり
茶化されたりすることがありましたが
本当は嫌でした
しかし場の雰囲気と
冗談もわからない奴だと思われてはいけない
そんな気持ちが強かったのか
頑張って合わせて盛り上げていました
道化を演じたわけです
今思うと
そこまで過剰に
合わせなくてもよかったなと思っています
嫌な気持ちが伝わらないどころか
喜んでいると思われかねません
嫌なのですから
落ち着いたクールな反応で
よかったのではと思います
とはいえ
時代の空気がそうではなかったのと
周囲に流されやすかったため
仕方なかったとも思います
私も人に失礼なことを言ったり
傷つけるなような事はしているはずなので
お互い様かもと言う気持ちも忘れないようにしたいです
何をどこまで言っていいかは
親しさや信頼の程度で変わってきますよね
お互いのバランスでしょうか
この歳になると
からかわれたり茶化されたりしても
冷ややかな反応はできるだろうと思いますし
場合によってはノッても良いと思っていますが
時代が変わったのか私が歳をとったのか
もはや
茶化したり茶化されたりはないです